tabitamiの日記

日々を生きていくことが旅だ。たくさんの人=たみ。旅する民をラクガキスタイルで表現する。

二人で一枚の絵を

みなさん、こんにちは。

もう9月も終わりに近づいてますね。

ちょっと涼しい風も吹いてきました。

もう秋なのでしょうか?

やっと絵を描いてみようかなっていう気分になってきます。リリリと虫も鳴いています。ちょっと寂しいような気配が漂っています。

 

何年か前のクロッキー帳を引っ張り出してきました。

ここに二人で描いた線画があります。僕と妻の合作です。

合作って大変なもんですよ。ケンカになったらハイそれまでよ。

無理に作ろうとしてもお互いのタイミングが合わないと出来ないですよ。

「これ、設定は描いたから、あとよろしくね!」「ハイ、承知しました」

とはいかない。

僕はせっかちだから、相手の都合も関係なく事を進めようとする。すると、

「なんかやる気しない、だいたい何これ?バランスの悪い形!」と妻。

ああ、ダメです。〆切もない場合はもう完成はいつのことやらです。

夫婦で会社とかお店とかやっている人はすごいですね。

僕はあまりの難しさに投げ出してしまいました。

仕方ありませんね、お互いに頑固なんですから。

 

そして今回公開しているのは、たまたま合作できたもの。

というのは合作するつもりはなく、設定のみの線画をキッチンの机に置いていたら

妻が加筆してくれているのを発見。なんとなくヒマつぶしに描いてくれたようです。

人の集中のスイッチはどこで入るのかわかりませんね。

だけどよく見ると、線の重ね方が違うのです。

あれ?ここだけ密になってるってところがある。僕より繊細なタッチだ。

でもそこが合作の面白いところなのかなぁ。ちょっとここやり直してよ。とは怖くて言えない。言ったらどうなるのかってわかってますからね。ここはもう「ありがとうございました!」感謝です。ホント。

 

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小さな人のツリーハウス

 

 

 

 

 

イサム・ノグチ展

 

先日、水曜日の午前中にイサム・ノグチ展へ行ってきました。

暑い暑い日で上野駅公園口から美術館までの道のりが砂漠のような感じ。

オアシスを求めフラフラ歩きます。

 

美術館入口では手荷物検査があり、私はカッターを持っていたため(鉛筆を削るために携帯)一時預かりになりました。パラリンピック開催中のためのセキュリティチェックですが、まるでこれから飛行機で海外へ行くような気分。

 

東京都美術館、出入口が地下なんですよね。

エスカレーターで降りて行く時に実はもう展示を見るための演出は始まっているような気がするんです。大きな穴に入っていくゾクゾク感が増します。

 

僕はここ2年ほど美術館へは行っていなかったので、久しぶりの展示鑑賞です。

イサム・ノグチは電車の広告で見てずっと気になっていました。

別に彫刻なんか興味ないよって人も多いと思います。わかるわかる、そりゃそうだ。

 

よく駅前なんかにあるでしょ?なんかモダン彫刻風の難解な彫刻。

業界では有名な芸術品も駅前じゃ、誰も振り向きもしない。

それらとイサム作品とどこが違うのか?確かめたかったんです。

 

で、感想。イサムは本物だな。(駅前が偽物ってことじゃない)

すごく感動してしまった。

たぶん、自分の心理状態が大きい。久しぶりの展示だということと、日常目に映るほこりっぽい風景と全然違い、とても柔らかな空間があった。

 

特に入ってすぐの光の彫刻「あかり」150灯のインスタレーションを見た時にグッと心をつかまれてしまった。学芸員さんの狙ったとおりさ。

 

「ああ、宇宙船が僕を迎えに来た。ここが帰る場所なのだ。ここには柔らかな光や形が充満している。本来自分はこんな世界で生まれたのだ。今まではなんだったんだろう?もう現生であくせくと働く必要などありはしない。 僕はよく生きたよ 。さよなら地球さよ~なら。」

 

という感じ。もともと自分にある現実逃避欲が爆発してしまった。

もしもできることなら、大きなスケッチブックを持参して床にあぐらをかいて興味のおもむくまま観察してスケッチしたい。石の彫刻などは手で触ってザラザラやゴロゴロを確かめたい。まあ、そんな気待ちで展示物をあっちからこっちから眺め、満喫しました。

 

おそらく僕のような存在は美術館の監視員にマークされていたかもしれませんね。

大丈夫。悪いことはしないんだからさ。ちょっと落ち着きないけど、夢中な人ってそんなもんですよ。あまり気にしないで無視してくださいな。

 

イサム・ノグチの仕事を全体として見ると、やはり日本と西洋がうまく合わさったようなところが特徴でしょうか?食べ物に例えるとアンパンみたいな?違うか?

 

今では国籍の違う両親を持つという人は少なくはないでしょうが、時代が戦争中だと状況は辛く苦しいものだったでしょう。ところがイサムの作ったものは柔らかで明るい。

 

 

見通しのはっきりしない今という時代にあって、強くやさしいエネルギーが存在する展示でした。イサム・ノグチ展ありがとう!

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ひかりの彫刻「あかり」

 

イサム・ノグチ展

 

先日、水曜日の午前中にイサム・ノグチ展へ行ってきました。

暑い暑い日で上野駅公園口から美術館までの道のりが砂漠のような感じ。

オアシスを求めフラフラ歩きます。

 

美術館入口では手荷物検査があり、私はカッターを持っていたため(鉛筆を削るために携帯)一時預かりになりました。パラリンピック開催中のためのセキュリティチェックですが、まるでこれから飛行機で海外へ行くような気分。

 

東京都美術館、出入口が地下なんですよね。

エスカレーターで降りて行く時に実はもう展示を見るための演出は始まっているような気がするんです。大きな穴に入っていくゾクゾク感が増します。

 

僕はここ2年ほど美術館へは行っていなかったので、久しぶりの展示鑑賞です。

イサム・ノグチは電車の広告で見てずっと気になっていました。

別に彫刻なんか興味ないよって人も多いと思います。わかるわかる、そりゃそうだ。

 

よく駅前なんかにあるでしょ?なんかモダン彫刻風の難解な彫刻。

業界では有名な芸術品も駅前じゃ、誰も振り向きもしない。

それらとイサム作品とどこが違うのか?確かめたかったんです。

 

で、感想。イサムは本物だな。(駅前が偽物ってことじゃない)

すごく感動してしまった。

たぶん、自分の心理状態が大きい。久しぶりの展示だということと、日常目に映るほこりっぽい風景と全然違い、とても柔らかな空間があった。

 

特に入ってすぐの光の彫刻「あかり」150灯のインスタレーションを見た時にグッと心をつかまれてしまった。学芸員さんの狙ったとおりさ。

 

「ああ、宇宙船が僕を迎えに来た。ここが帰る場所なのだ。ここには柔らかな光や形が充満している。本来自分はこんな世界で生まれたのだ。今まではなんだったんだろう?もう現生であくせくと働く必要などありはしない。 僕はよく生きたよ 。さよなら地球さよ~なら。」

 

という感じ。もともと自分にある現実逃避欲が爆発してしまった。

もしもできることなら、大きなスケッチブックを持参して床にあぐらをかいて興味のおもむくまま観察してスケッチしたい。石の彫刻などは手で触ってザラザラやゴロゴロを確かめたい。まあ、そんな気待ちで展示物をあっちからこっちから眺め、満喫しました。

 

おそらく僕のような存在は美術館の監視員にマークされていたかもしれませんね。

大丈夫。悪いことはしないんだからさ。ちょっと落ち着きないけど、夢中な人ってそんなもんですよ。あまり気にしないで無視してくださいな。

 

イサム・ノグチの仕事を全体として見ると、やはり日本と西洋がうまく合わさったようなところが特徴でしょうか?食べ物に例えるとアンパンみたいな?違うか?

 

今では国籍の違う両親を持つという人は少なくはないでしょうが、時代が戦争中だと状況は辛く苦しいものだったでしょう。ところがイサムの作ったものは柔らかで明るい。

 

 

見通しのはっきりしない今という時代にあって、強くやさしいエネルギーが存在する展示でした。イサム・ノグチ展ありがとう!

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ひかりの彫刻「あかり」

 

ボールのように弾んで

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バレエの堀内完先生



 恩師を思い出す。

僕は十代の頃バレエを習った。先生は堀内完。バレエ界の草分け的な存在だった。

その頃の僕は地元の中学校に通う地味な少年だった。表面は地味でも頭の中は自分勝手な夢がカラフルに展開していた。夢を現実に!何も知らずに前に進んでしまった。

 

 東京都港区西麻布のスタジオのドアを押す。

ピロンピロンと音がして、汗の匂いと香水の匂いがムワッとした。

地下にあるレッスンスタジオから音楽が聞こえる。ピアノの音、ジャズの音。階段を降りていくと、床に脚を投げ出したお姉さんたちがストレッチ。ラインのはっきりわかる体からだ体、タイツもシューズも松ヤニの粉もバレエ用語も全身がうつる鏡も、すべてが一気に自分に押し寄せてパニックだ。

 

 ギョロリとした目で「ヤンパパ~ン」と歌いながら先生が現れる。

その人が堀内完先生。とにかくメリハリがあった。にぎやかで陽気だ。

ど素人でもそこそこにバレエの動きになじませる。強気な指導者だった。

 

 師匠は遠慮がない。

「おまえダサい!」とか「髪の毛ちょっとパーマあててこい!」

「暗い、下向くな!もっとパァッと上むいて踊れ!笑え!」などとよく言われた。

女の子と踊るときなんかはテレまくる僕をみて「何恥ずかしがってんだ、喜べ!」だ。

それまで家で一人でラクガキして遊んでいた僕には、雷に打たれたかのようなショックである。

 

 堀内完先生は舞台芸術学院の一期生で伊藤道郎にバレエを習った。そしてユニークバレエシアターというカンパニーを作り旺盛に振り付けを行った。 

教え子はたくさんいて、舞踏の土方巽やピンポンパンの体操のお兄さん金森勢、劇団四季の荒川務。ご子息の堀内元さん充さんもローザンヌ賞をとってニューヨークで活躍していた。

 

 そんなところに通う僕はいつも自信が持てなかった。まあ、幼少期からバレエを習っていたわけでもなく、ちょっとした好奇心からやって来たのだから仕方ない。それでも稽古を重ねれば何かつかめるのではないかと思っていた。

 

そんなある日、師匠とニューヨークへ行くことになった。当時ローザンヌコンクールをニューヨークでも開催することになり、その見学ツアーに参加したのだ。

僕はなぜか記者のように首から紐付きのボールペンを下げていた。それは父がライターでいつもメモをとる習慣だったからだろう。何か気がついたらメモをとること。それは我が家の伝統だったのだ。しかしあまりにも対象が大きすぎた。次から次へと目の前に現れる現実に翻弄されほとんど何も書くことはできず思い出ばかりが記憶倉庫に入荷された。

その旅で今も忘れられないことは、スクールオブアメリカンバレエのレッスンを一度だけ体験したことだ。この学校はバランシンが教えていたアメリカのバレエの名門で、何の賞歴もない日本人がレッスンを受けることは難しかったのではないかと思う。

 

僕はニューヨークシティバレエの団員(当時ソリストで後にプリンシパル)であった堀内元さんの紹介で特別にレッスンを受けることになった。

ラッキーである。

教師は頭が禿げてがっしりとした体格の中年男性だった。

10代前半のボーイズクラス。黒い肌や白い肌のにぎやかな少年たち。

みんなきれいな体つきだ。でもうるさい。

タオルを丸めて投げ合って笑い声をあげている。

レッスン内容は特に日本と変わることはなく、むしろ当たり前のバレエレッスンだった。

一人づつ踊るときには笑ったり拍手をしたり屈託がない。

ドキドキと緊張の中の90分はあっという間に終わった。

 

そこで唯一の注意は「You are a broken bull. Bounce softer like a ball !」

ジャンプが硬い。もっと柔らかくボールのようにプリエして!みたいな意味だと受け止めた。レッスン後に師匠に報告すると「だからいつも言ってんだろうが」と叱られた。

 

 バレエは見た目よりずっと厳しいルールがたくさんあった。その密林のようなルールの森を抜け出して飛び立つことはできなかった。でも知らない世界へカラダ丸ごと突っ込んでみた、そのことだけでこんなに僕は饒舌だ。ラッキーだったぜ。

 

 そんな恩師も今はいない。鼻歌を歌いながら稽古場への階段を降りてくる気配。   バレエスタジオの黒い壁。一人では運べないバー。アップライトのピアノ。ベニア板で仕切られた更衣室。朝倉摂デザインの公演ポスターたち。陽気な声が響く。

 

「もっと柔らかくボールのように弾め!」いまの僕は師匠にそう言われたい。

 

墓参りに行った話

みなさん、こんにちは。

今日は、墓参りに行った話です。

 

富士霊園ってところなんですけど。これ、静岡県富士スピードウェイの近くにあります。

最寄り駅は御殿場線駿河小山駅か御殿場駅です。そこからバスで霊園に向かいます。

東京の右上在住者にとってこの上なく遠い場所になります。

 

せっかくの遠出なので、特急ロマンスカーに乗ることにしました。

ええ、新宿駅から直通で御殿場線駿河小山駅まで行けるのです。

そう、行きは無事に目的地につきました。

 

帰りがねぇ~問題なんですわ。

帰りの電車が新宿駅までの直通は午後は一本しかありません。で、それの出発時間が16:58ってほとんど夕方5時なんですけど、そんなに遅くまで墓参りに時間かけられない。それとも、墓地で朝早く来て、夕方まで親類縁者と飲んだり歌ったりするとでも?

 

で仕方ないから午後13:14発のロマンスカーに乗ることにしました。

これが松田駅発なんです。御殿場線駿河小山駅から松田駅まで行く。

ここまでは無事に行けたのです、あたしらは。

 

ややこしい話ですが、小田急ロマンスカーふじさんに限ってはJRの御殿場線を使うのですね。乗り入れるってことですか?他社の線路を使用させてもらってるってことですね。

これ、いろいろ問題がありますね。案内板とか大きく出せないし、小田急のチケットをJRのホームでは売ってないんですね。

 

松田駅って二つあるんです。松田と新松田、同じ場所だけど少しお互いに離れて独立してる。

同じ土地に立つ二つの戸建ての家が二世帯住宅で名前が違うみたいな感じ。

しかも血の繋がった長男は亡くなって奥さんが住んでて長男の老夫婦とは付き合いは良くないみたいな感じ。

 もうやめてほしいです、ややこしいのは。嫌なら引っ越そうよ。

 

松田駅ひとつでいいでしょ。そこに小田急線もJRも乗り入れればいいのに、お客さんのこと考えてないですね。誰のための駅? あ、「ふじさん」の利用者が少ない?はい、確かに。

御殿場プレミアムレットと富士霊園と富士スピードウェイに電車で行く人は少数だ。

少数派は文句は言うなと、でも言わせて。ややこしすぎると。

 

だから私ら間違えた。松田駅で乗り換えだって思ってね、小田急線の新松田駅に行ってしまったの。筋としては間違ってないでしょ。だってロマンスカー小田急線なんだから。

でも、ロマンスカーの「ふじさん」に限ってはJR松田駅の奥の「ふじさん」用のホームを使うの。

その事実に気がついたいた時は、焦りましたよ。もう「ふじさん」は向こうからやって来ているのに奥のホームは200mくらい離れているんですから。しかも階段登って向こう側に小さく見える。

 

ええ、走りました。渾身の力を振り絞って、マスクが取れかかっても構うことなくね。

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松田駅を走る

 

 

 

 

 

斎藤晴彦!

もう、20年ほど前のこと。

吉祥寺の路地を歩いておりました。

何かいい仕事がないかぁなんて自称イラストレーターは考えていたのです。

すると、向こうからガニ股歩きでのっしのっしと歩いてくる男性。

あっ斎藤晴彦だ!

僕はこの人の舞台をたくさん観ていたからすぐにわかった。

クラッシック音楽に乗せて独自の唱法で歌う役者さん。

美声ではないが歌う声にリズムがあり歯切れがよかった。

クラッシック音楽にユニークな光をあてた人とも思う。

僕はこの人がいなかったらモーツァルトやらベートーヴェンなんて興味が持てなかった。

チゴイネルワイゼンにのせてパエリアの作り方を実況中継できたのは斎藤晴彦だけだ。

 

舞台の上に乗る人は歩き方が違う。

下半身がしっかりしているのだ。

斎藤晴彦はニコニコとしながら通り過ぎて行った。

それだけのことである。

亡くなった日が6月27日で、母と同じ日だったから忘れない。

ずーっと忘れないと思う。

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斎藤晴彦

 

 

 

 

ぶつぶつパタポン

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バレエレッスン

ポンポン、パタポン。パタパタパタ。 

 

まったくよ、なにやってんだ。わけわかんね。

毎日、バーを片手に足を前後に横にと忙しく。

これが何かになるのかい。

まさか、きみバレエダンサーになろうってんじゃないよな。

ちっとは、自分ってものを冷めた目で眺めてくれよ。

 

人生を賭けて今を生きているってこと自覚してくれ。

ムリか。まだ14歳か。そりゃそうか。

時間が永遠にあるように思う年頃か。

もやもやと熱いエネルギーたぎる時だ。

それ不燃焼のゴミにならなきゃいいな。

 

あのさ、水をさしてわりいけどさ

バレエなんて、途方もない道な。

甘くはないんだよね。

派手に見えて、地味に稽古するしかないからね。

毎日バーでレッスンしなきゃいけないんだぜ。

つま先がよ、脚がよ、開いてよ、伸びてなきゃ。

そんで肩の力は抜けてさ、手は柔らかくなんて。

頭混乱するよホント。

 

その上、舞台で華があるか、花があるか。

知ったこっちゃない。

うるせえって思うようになるよ。

体と心ボロボロでニコニコ笑えますかってこと。

お客様に自分を売るって覚悟あるかなしかよ。

 

まあ、挫折ってやつと出会うね。

夢破れて、クラッシュですわ。

そこが青春グラフティだから。

きみだけのラクガキが魂に残るのよ。

 

パタポン。パタ・・・ポン。

 

パタポン!またお教室に来て!カリカリ欲しいのかい?」

太った猫は教室を出て行きました。意味ありげな視線を残して。