いただきます
たまに筆を使って絵を描く。
これが思うようにいかない。
均一な線を引くにはかなりの訓練が必要ですね。
まあ、私はできるなりのことをやってみるだけ。
筆をべたっと寝かせて押し付けたら目になったから鼻をつけて顔にしてみたって感じの描き方で。
誰だこれ?こんな人いるかな?
これがどうやら昔つきあっていた人に似ているらしい。
無意識って怖いです。
和田誠さん
イラストレーターといったらこの人。
アドビのイラレのことではない。
イラストレーションを描く人。
日本のイラストレーションの歴史を作った人と言っても良いでしょう。
ベン・シャーンやソール・スタインバーグに影響を受けながら、和田誠にしかできない
イラストレーションを作って長く活躍した。
あの文字、あの絵、あのアイディア、
ポスター、チラシ、ロゴ、アニメ、地図、作曲、そして映画まで。
全てが輝いている。
ご本人にサインをもらったことは一度だけ。
静かな人だった。
映画の試写会で、みんなエレベーターを使うのに一人だけ階段を使っていたのを見かけたことがある。銀座のビルの5階が会場だったと思う。
それから表参道の裏道を歩いている姿を見かけたことも。
清水ミチコさんのライヴで渋谷ジャンジャンに、ご夫妻で来ていた姿もおぼえている。
とても素敵な人でした。
ニジンスキー
東京都美術館でのコートールド美術館展。
魅惑の印象派。
確かに名作がそろっていて面白い。
で、びっくりしたのがロダンの彫像があったこと。
小さいもので、握りこぶしほど。
バレエの好きな人だったら反応があるでしょう。
それは、ニジンスキーです。
映画になったり、漫画になったりの神がった人物。
本当のところ彼の踊りはどうだったんだろう?
バラの精でそんなに高く跳んだのか?
春の祭典初演の客席の大騒ぎ、ほんとうに殴り合いになったのか?
ペトルーシュカの彼の首は人形のように傾いていたのか?
僕はもう中学生の頃からその魅力のとりこだった。
ロダンのニジンスキーは片足で立っていて、顔などはっきりしない。
もう片方の脚を抱えるようにしていて、空気を震わせるように頭部が
グニャリと溶けたように見える。
ロダンはニジンスキーの獣のような動きを捕まえたのかもしれない。
というわけで必見のニジンスキーなのです。
長新太さん
魚や鳥や猫を見ていると
脱力感とか、浮遊感という言葉の意味が
ジワリとわかってくる。
そうか、こんなに柔らかく鋭く生きているのだな〜
そう感じるのです。
長新太さんの絵本もそんな感覚の世界です。
私が初めてお会いしたのは、
まだ寒い日で鼻をかんでおられました。
隣に漫画家の永島慎二さんもおられました。
20代の私はただ憧れていた人物にお会いしたいと
ヒョコヒョコ出かけて行ったのでした。
その時はドキドキで何も会話ができませんでした。
のちに
「あなたはお父さんにそっくりだね」
と顔を覚えてもらうくらいにはなったのです。
しかしその頃にはご病気で、
あっという間に亡くなってしまわれた。
たくさんの長ファンを葬儀で目にした時に
偉大な仕事を成し遂げた人だったのだと
改めて感じました。
というわけで、長新太さんは永遠不滅です。
脱力、浮遊、変身、なんでもOK!
モーリス・ベジャール
時間が経つと忘れられていく時代の空気。
1980年代だったら、私の場合ベジャールです。
バレエの革命があったんです。
バレエの男って言ったら白いタイツの王子。
いったいどこがカッコイイのか?
股間が目立ってしょうがないし、弱そうなイメージ。
当時の日本男子は足が短かった。
そんな貧弱なイメージの日本のバレエ界を
変えてしまった振付家。
それがモーリス・ベジャールだ。
やはり、クロード・ルルーシュ監督の
「愛と哀しみのボレロ」が大きい。
私は中学生だったけど、この映画を8回は観たよ。
ボレロを踊っていたジョルジュ・ドン。
白いタイツの王子とは対極の野獣のようで
カッコイイな〜と感じたのは時代の空気もあった。
男を美しいと感じたのは、ブルース・リー以来で、
1980年代から『美しい男』という感覚はあたりまえ
になっていったように思う。